佐倉家庭教会について
教会長挨拶
佐倉教会のHPをお訪ね頂きまして心から御礼申し上げます。
まず、皆様の御健康と御繁栄を心から祈念いたします。
インターネットが国の体制を大きく変革へと導く時代圏を迎えて、HPを通しての地道な発信は、必ずや私達人類統一への未来を拓く大きな力となる事を確信しております。
今後とも当教会のHP、並びに教会へお運び頂き、統一教会と創始者 文鮮明先生を初め、その教えに関心を持って頂きますようにお願い申し上げます。
佐倉家庭教会 教会長 牧師 拝
地域紹介
千葉県佐倉市は、人口約18万人、印旛沼を中心に数多くの原始古代遺跡と共に発展してきました。
中でも教会のある臼井地区は「臼井城」城下町の後、宿場としても栄え、北部には宿場町の頃の名残が見られ、自然資産などにも恵まれた結果、隣接する印旛沼と相まって、自然豊かな住宅地が形成されています。
印旛沼(西印旛沼)
佐倉市ゆかりの人物
- 原 主水(ハラ モンド)公 天正15年(1587年)-元和9年10月13日(1623年12月4日)
- 江戸時代の最初の殉教者であり、神様の為に生命を捧げられた人物
- 佐倉 臼井城で誕生。列福されています。
- 徳川家康により小姓として召しだされますが、慶長17年の岡本大八事件を機に本格的なキリシタン弾圧が開始され、密告によって捕らえられ、元和9年に宣教師ら47名とともに江戸市中引回しの上、高輪の辻の札(高札場)にて火刑に処され殉教されました。
- 死の直前に「私がここまで苦難に耐えてきたのは、キリストの真理を証明するためであり、私の切られた手足がその証である」と述べたと伝えられています。
- 堀田 正睦(ホッタ マサヨシ)公 文化7年(1810年)8月1日~元治元年(1864年)3月21日
- 日本国の為に生命を捧げた人物であり佐倉藩5代目藩主 日米通商条約を結ぶ
- 木内 惣五郎(キウチ ソウゴロウ)公 (又は、佐倉 惣五郎)慶長10年 - 承応2年
- 惣五郎は藩主である堀田氏の苛政を、藩や江戸役人、幕府老中にも訴えたが聞き入れられなかった為、上野寛永寺に参詣する四代将軍の徳川家綱に直訴しました。
- その結果、藩主の苛政は収められたが、惣五郎夫妻は磔(はりつけ)となる一方、男子も死罪となりました。